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(活動報告)本年最初の辺野古訪問記

辻 忠男

 1月11日、那覇空港17時30分着、そこで旧知のU氏と会い、新しい辺野古ツアーの資料とワッペンを譲り受ける。その後直ちにレンタカーで暗い沖縄高速を一路辺野古へ。20時30分クッション(稲葉亭)着。到着の挨拶後、辺野古部落内の日蓮宗僧K氏宅で一酒一飯のお世話になる。夜中クッションに戻り熟睡。

 1月12日、6時30分朝食、8時シュワブゲート前へ、早朝だが50名ほどの参加者。平和運動センター事務局長大城悟氏の司会で、県内各地域からの参加者挨拶。県外からの参加者として私も発言。“埼玉でも県議会に意見書を提出予定、安倍政権は沖縄県民に寄り添うというならば実行しなさい、真摯にその意見に耳を傾け、話し合いをしなさい!”因みに上田埼玉県知事は全国知事会の会長として、日米地位協定改定の必要性を述べている。

 その日はゲートからのダンプ搬入はないと判明、急遽全員で本部安和(アワ)の琉球セメント砕石搬出港に移動。移動の車中でM氏から、堺市での意見書採択に至る経緯をお聞きした。6回にわたる働きかけの末、維新の会が最後は意見書に賛成して成立したこと、2兆円以上の税金と10数年もかけてできるのはまったくの欠陥基地で、税金の無駄使いであること、各自治体の意見を尊重しない中央の姿勢は問題である、という働きかけが効果的だったとのお話であった。大阪維新には都構想の関係で、反中央の意識があるようだ。

 さて本部安和港には約100名の参加者によるダンプ搬入阻止の人垣ができていた。港には1隻の砕石搬出船が横付けし、沖には辺野古で荷を下ろし喫水が浅くなった運搬船が、こちらに向かって移動していた。人垣の中で、ちょうど私の着ていたジャンパーが防衛局員のものとそっくりで、混同したのか最後までダンプの前に立つ私は排除されなかった。(ようし、今度はもっとそっくりの格好で、彼らの中に紛れ込んでやろうか!)振り向くと背後の本部の山肌はすっかり緑がはぎ取られ、むき出しの巨大な石柱が立ち並ぶ異様な風景、これが人間の我欲がなせる業かと愕然! 昼まで抗議行動に参加し、午後辺野古に戻る。

 夕方市内事務所で稲嶺進氏とお会いし、4月28日浦和コミセンで開催予定の、”第4回沖縄の闘いに連帯する関東の会”での御講演を快諾いただく。”安和の赤土が違法に積み出され、大浦湾に投下されている、県は琉球セメントの立ち入り調査をすべきである”と怒っておられた。夕食は相馬ゆりさんたち抗議船船長3名と焼き肉三昧! 

 1月13日は主だった活動がないため、稲葉亭に3か月逗留中の三重県出身のF氏と海洋公園に出かけた。青い澄んだ海の向こうには米軍補助飛行場がある伊江島がくっきり見え、シンボルである山―立柱(タッチュウ)が、やや頭をかしげ立っていた。まったく初夏のような日差しであった。

 その夜は再び僧K氏宅で、一酒一飯のお世話になる。日本と世界情勢に関する蘊蓄を拝聴。話の中で糸数慶子氏が参院選に出馬しなくなったこと、場合によっては自民が唯一衆議院議席を持つ4区に、という話を聞く。それならば是非応援しなくてはと、二人でメートルを上げた。再び稲葉亭で爆睡。

 1月14日、汀間(tima)港に7時30分集合、旧知のO君が船長の抗議船“翔也丸”に乗船、大浦湾に向け出港。広大な海域は、オレンジ色の大ダコの頭のようなフロートの連鎖で分離占拠されていた。海も苦しかろうに、心底同情! 琉球新報・北海道新聞の記者のほかに、“警察見張り番―愛媛県警OB”の仙波敏郎氏も乗船していた。氏は警察が組織的に行っている裏金作りに一度も加担せず、その実態を実名で内部告発した。現職警官による告発は史上初にして唯一、止めようとする警察内部の圧力にも屈せず、“巡査部長勤続35年“の最長記録を残し定年退官した、節を曲げない人物である。警察を愛するがゆえに、今も警察の”暗部“を告発し続けている。今回は2回目の辺野古訪問、船上から海保に丁寧に尋ねる、”ちょっとお聞きしますが、皆さんはどんな権限で海を封鎖しているのですか? 現場の責任者のあなた、どんな根拠があって、警備行動を行っているのですか?教えてください、答えてください。“ それに対し海保の艇長は目をそらしながら、”知りたければ電話で本部に聞いてくださいよ、O船長、そんなことわかっているでしょう、“とはぐらかすのみ。仙波氏は”自分のやっている警備行動の根拠が言えないで、どうして海上警備ができるのですか、まったく嘆かわしい!“ と慨嘆することしきり。そして抗議船は広大なフロートの外周を海保の伴走を受けながら汀間に戻った。現在の埋め立地が、猫の額どころかネズミのそれにも及ばない、まったく矮小で狭い領域であると実感できた2時間の海旅であった。